» 社民党トピックスのブログ記事

 大飯原発の停止と,脱原発を求めるうねりは次第に大きくなって全国に広まっている.毎週金曜日の首相官邸周辺での行動,全国各地の週末デモなどが拡大している.このような中での脱原発10万人集会が東京代々木公園で開催された.

石川県からも各種団体や個人が参加したが,平和運動センターと社民党,市民運動グループは2台のバスを貸切り集会へと向かった.早朝4:45集合,23:00帰県という強行スケジュールである.しかし,この集会に参加し,一人でも多くの声を政府や電力会社,国民に訴えたいという思いをバスの中で一人ひとりが語りながら,片道7時間の充実のバスの旅となった.

公園ではステージから呼びかけ人の挨拶があった.90歳の瀬戸内寂聴さんの「聞いてもらえなくても言い続けよう」という言葉は,「言い続けなければ何も変えることはできない」ということであり,脱原発運動の厳しさと決意を表していた.また,中嶌哲演さんの「なぜ福島や若狭でなければならなかったのか,なぜ巨額の原発マネーをばらまかねばならなかったのか,なぜ50万人にも上る被曝労働者を必要としたのか」との改めての訴えは単純だが大きな意味を持っている.その答えは簡単すぎるが,福島原発事故で現実としてはっきりし自覚することとなったのである.炎天下,呼びかけ人の言葉に真剣に耳を傾け,頷き,参加者の思いは集まり,連帯感を実感する集会となった.

集会後,私達石川県社民党グループ参加者は,3方向のパレードコースのうち,渋谷コースに参加しシュプレヒコールを繰り返しながら,都民にアピールした.
参加者は17万人で延々続くパレードに,沿道からのエールはあったが,反応はまだまだだ,あきらめずにやり続けなければ・・・

 被曝67周年の今年,恒例の非核平和行進が全国で実行されている.石川県でも北・南コースで原水爆禁止石川県民会議のメンバー,労働組合員らが集会と平和行進・デモを行った.

 折りしも,前日よる政府が大飯原発の再稼働を決定した.この夜,首相官邸を取り巻く1万人を超える市民の抗議の声は,テレビに映し出されることもなく,日本は何事も無く進んでいっているようにも見える.しかし,この理不尽な,無謀な再稼働は許されないと考えている国民は過半数以上はいる.この日の原水禁の行動,その後つながれていく平和行進もまたその抗議と撤回を求める市民の声だ.

 強大な原子力ムラの必死の抵抗と工作が進められている.この原発への揺り戻しの力に勝つことは相当に厳しい.しかし,今後の各地の再稼働反対の市民の声と行動こそが力を持っている.諦めることなく脱原発を主張していきたい.原発をやめなければ,この,金と権力に塗れる日本社会が変わることはできない.

6月10日,中央公園には1500人を超える市民が集まった.脱原発を訴え,大飯原発再稼働に抗議し,志賀原発をはじめとするすべての原発の廃炉を求める人々である.
はからずも,前々日の野田首相の「国民を守るために大飯原発を動かす」という宣言直後の集会となった.参加者のみならず,国民の多くが,この論理のかけらもない,ただ私がやるのだという,勘違いのリーダーシップに怒りが収まっていないそんな時である.

 この,さよなら志賀原発集会は,全国各地の動き同様,これまでの労働組合中心の集会デモから,一般市民,若者,仕事リタイア組まで幅広く呼びかけ,それぞれのアピールのし方で,思いを表現するスタイルである.集会では,音楽,パフォーマンス,そして素直な言葉で原発反対が訴えられる.もちろん,これまでのスタイルに慣れた人たちの硬い挨拶や演説も受け入れられる.デモとパレード,シュプレヒコールと歌,ラップのコラボレーションもなかなかいい.浮かれているように見えても,みんな真面目である.もっともらしい顔をして,やっぱり原発がないと日本の経済は立ち行かないなどと語る人とは真面目さの質が違う.既成概念や力関係に屈しない信念を持った真面目さだ.

パレードは,金沢市民に声をかけながら,大きな声で脱原発を訴えながら進んだ.その声は,北陸電力の前と知事公舎の前で特に大きくなった.再稼働反対!原発を持たない電力会社になってください.県民の声を聞いて,しっかりと判断をしてください.私たちの決議を受け取ってください.この,教条的でない,ほんとうの思いを伝えるこれらの言葉を聞く耳を持っているかどうかそれが問題だ.参加者はもう2000人あまりになっていただろう.
この市民の思いを,権力的に強引に無視するようなら,そう上品な抵抗で終わるということはないだろう.大飯についても志賀についても,日本のエネルギー政策についても,国民の議論を押し殺すのではなく,徹底的に国民的,県民的議論を進めていく姿勢を求めていきたい.

平和運動センター 速報

6月9日,石川県原子力防災訓練が行われた.これまで志賀原発から10km圏内での避難訓練を中心とした訓練であったが,今回は,国のUPZ30kmの方針を受けて,避難地域を30kmまで拡大をした.また,放射能漏れが起きなくても,その可能性が予想される時に予防的に避難を行う5km圏内PAZが設定され,この区域内の住民の避難訓練も行われた.
避難箇所は,輪島市と金沢市の2か所,ここに先日割り当てられた受け入れ側の市町が受付とスクリーニング班を設置し,避難者の確認とスクリーニング,除染を行う.

30kmを想定した避難訓練は日本で初めてであり,訓練に参加した住民も,過去最大の800人と発表があった.しかし,30km圏内の人口は15万人であり,福島事故では,50kmまで及ぶ地域で避難しなければならない事態となっている.このような訓練が,現実の事故で生きてくるのかは疑問がある.
事故想定は,ただ30km範囲に避難が必要な放射能漏れというだけで,気象条件を定め,その場合にどのような放射性物質の拡散が起こるかをシミュレーションしたものではない.SPEEDIを活用してより具体的な想定のもとで訓練を行うべきである.

初めての訓練であり,谷本知事も第一歩だと記者会見で述べていたが,当然であろう.であれば,防災計画とそれに基づく訓練が十分に行われ,検証されなければ,再稼働の議論に入ることは許されない.この訓練が,安全対策を実施したという実績として,再稼働の布石になるとはありえない.

訓練では,私達社民党議員団及び協力市民により,住民へのアンケート調査も行った.今後結果の分析も行い,県市町に提言を行なっていく.

▲ 訓練後の記者会見

 5月5日こどもの日.北海道電力泊原発3号機が定期点検のため停止に入った,7日午後には冷温停止になり,日本の原発54基(うち福島第一の4基は廃炉決定)が全て停止することとなった.
 福島事故の原因究明も事故の収束もなく,活断層再調査,安全指針や耐震設計指針の見直し,安全対策の実施,防災計画の策定と避難訓練の実効性確認など何も進んでいない中での再稼働はありえない.
 ストレステストを信頼している国民はほとんどいないであろう.全原発停止は当たり前である.

 その日が,こどもの日であり,憲法記念日とみどりの日の翌日であるというのも象徴的だ.あらためて脱原発への訴えを,武蔵が辻エムザ前と香林坊アトリオ前で街頭演説を行った.森金沢市議,細野加賀市議と私の3人の弁士,社民党金沢の党員,平和運動センター役員と,2ヶ所約2時間にわたって実施した.能登でも,七尾と羽咋で同様に街宣活動を実施した.

 通行人,ドライバーの市民から声かけや,手を振っての激励を多く頂いた.原発からの撤退,再生可のエネルギーの研究・開発・普及,新たな日本社会,産業構造への変革,もう日本のやるべきこと,希望ある未来への道はこれしかないのである.しかし,思考停止の原子力村の住人たちと利権でつながる応援団,なかなかしぶといであろう.
 ぶれずに,地道に,しつこく訴え続けたい.脱原発,再稼働反対.

 5月3日憲法記念日,今年は施行から65周年となる.
 格差の進行,貧困の拡大が子どもにも及ぶ,福島原発事故での被曝発生,北朝鮮ロケット発射への過剰な防衛省.自衛隊の対応,沖縄米軍基地への対応,国会での消費税・TPP論議,いずれをとっても憲法が蔑ろにされている.
 基本的人権の尊重,平和主義,主権在民・民主主義,理念は実現されているとは言いがたい.

 自民等は新憲法草案を発表した.自衛軍の位置付け,集団的自衛権の明記,緊急事態条項により国民の権利制限をねらい,天皇の元首化などを盛り込んでいる.また,憲法96条を改正し,憲法改正の発議を国会議員の過半数にしようという動きも出てきている.国会において改憲勢力は90%に達していると言われる.一方国民は,9条を変えるべきではないと考えている人が50%を超えているという世論調査の結果が出ている.

 06年07年と教育基本法が改悪,憲法改正の手続法(国民投票法)の成立で,護憲の私たちは危機感をもち,多くの市民と連帯しながら,明文改憲の動きにブレーキをかけてきた.しかし,またその動きが活発化してきたということである,このような共通認識をもって今年の憲法記念日を迎え,新たな憲法を護り,守らせる運動を切り開いていくことを各種の集会と行動で示してきた.

 金沢市役所前広場では,憲法を守る会の集会と,本多の森ホールまでのデモ行進,それに先立ち社民党の街頭宣伝も行った.デモ行進終了後,本多の森ホールでの九条の会石川ネットの県民集会に参加,記念講演でジェームス三木氏は,素晴らしい大切な憲法を子孫にバトンタッチしようと訴えた.また,北川てつ氏は九条の歌や憲法前文の歌などで,憲法の価値を参加者に再確認させた.

 気を緩めることなく,護憲の運動を継続していかねば,日本はまたきた道を歩むことになる.

本年も恒例の韓国禮山郡訪問,今年で9回目の参加となった.今年は,尹奉吉(ユン・ボンギル)が,上海虹口公園(現魯迅公園)において,日本軍の上海での軍事行動の勝利を祝う天長節祝賀会の式典会場の軍要人に爆弾を投げた年(1932年4月29日)からちょうど80周年に当たる.

尹奉吉が処刑され,暗葬された地,金沢市野田山,そして,そこに暗葬の跡碑の建立と維持管理に精魂を傾けていた故朴仁祚さん,その思いに共感し,活動を支えながら,金沢と尹奉吉の生地韓国禮山郡の交流を進め,東アジアの平和と連帯を深めようとしてきた社民党金沢の議員と尹奉吉義士共の会会員,そして,尹奉吉の思想と理想を実現すべく活動する月進会日本支部会員,訪問団員は総勢16人となった.

義挙80周年,忠義祠での祭享(追悼式),生家のあった島中島での文化祭と特設舞台での式典とアジア音楽祭,いずれも一段と盛大に行われた.この式典への参加も10年近くとなり,禮山の人々からも認知されてきたようだ.昨年も会った人から握手を求められることも多かった.
音楽祭では,韓国の李光寿氏と音楽院メンバーのサムルノリ,中国やモンゴルからのプロにまじり,私は紋付袴で尺八本曲,そして,森一敏市議の歌と民謡「能登麦屋節」を演奏した.フィナーレは恒例の全員によるアリランの演奏と会場一体となった踊り,ラストの花火大会と最高潮に達した.

政権奪還を目指す自民党や,保守層は一段とナショナリズムを強調し,アジアの国々に対する植民地支配や人権無視の行いの反省と謝罪も十分にないまま,領土問題や安全保障等をめぐり中国・韓国などをまだ敵視しようとしている.政治家などによる,問題発言はあとを絶たず,云われのない差別的言動が続いていることは誠に恥ずべきことである.我々の活動は,日本人からまだまだ十分に理解と共感を得られていないが,継続することによって東アジアの平和と友好に貢献しうると確信している.
6月には,禮山郡から30人の訪問団が金沢に来られる.平和と連帯をさらに進める議論や,有効を深める楽しい交流がまた生まれるであろう.

日程  景福宮(キョンボックン)見学-孝昌公園墓参-水原民俗村見学
-禮山郡議会議長主催歓迎会-祭享参列-文化祭記念式典参列
-独立記念館見学-記念音楽祭参加
-禮山郡主主催歓迎会-李光寿音楽院訪問

 
▲独立記念館で処刑地の確定作業について打ち合わせを行う田村共の会会長と研究所長
祭享の日本からの花輪▲

 ▲文化祭典開会のサムルノリ演奏

3月17日,瑞穂と一緒に国会へ行こう会の総会が行われました.

総会に続いて,七尾市の真宗大谷派常福寺の畠山浄さんの「子どもたちの健康を守るために,私たちは何ができるのか」と題しての記念講演があり,福島県の市民放射能測定所の開設運営をはじめとする「こどものたべもの基金」のとりくみについて報告されました.

穏やかな語り口ですが,発信力と行動力のすごさ,そして,あくまでも福島の子どもと親の立場に立って活動されていることに感動しました.

まさに,今福島で,避難したくてもできない子どもたちがいて,その子どもたちの外部・内部被曝を少しでも減らそうと,放射線測定や除染を行っている親御さんたちの思いに寄り添う活動,支援が今,求められています.そして,国や電力は,有効な除染が不可能な地域の居住を禁止し,避難・移住先の確保,雇用と経済的保障を早急に行うべきです.

4日香林坊,5日武蔵が辻で脱原発1,000万人全国署名のとりくみを行いました.

 3月下旬の政府への提出に向けて,全国で活動が行われています.金沢繁華街では,社民党員の皆様や市民運動,個人の皆さんとともに,盛本,森,山本議員の訴えの演説を行いながら署名への賛同を求めました.

 老若男女,進んで署名を行う市民,声かけによって,それではと応じる人,高校生のグループが全員書いていくれるなど,脱原発の思いを持つ市民はまだまだいると確信しました.声にして,署名という形にして表し,更に大きく拡げ政府に脱原発を確実に政策として推進させていきます.まだまだ,闘いは続くと思いますが,諦めずにがんばります.

 24日,志賀町文化ホールで「原発防災を考える議員学習会」が開催されました.羽咋市の浅野議員,七尾の山添議員,輪島の高田議員が呼びかけ人となって開催されました.
 原発の存続については,議員によって意見の別れるところですが,原発防災計画の抜本見直しの必要性は意見の一致するところです.国がUPZとして30kmを示し,これに基づき新たに防災計画を策定しなければならない市町もでてきます.福島第一並の事故が起これば,能登半島が孤立する自体も想定しなければなりません.
 県内自治体の議員は党派を超え40数名,一般市民10数名が参加し,熱心に県の説明,柏崎からの報告,七尾市,羽咋市のとりくみに耳を傾けました.

 県の危機対策課の,国の防災指針見直しと県の防災計画策定についての説明は,依然として,国の計画待ち.法的にはその通りであるが,やはり,石川県の地勢学的特徴を考慮した計画のためには,主体的に作業を進めて行かねばならない.その,危機意識と積極性が感じられないという不安・不満の声が多く出たのは当然でしょう.

 新潟.柏崎市の高橋市議の講演では,信頼できない国に頼らず独自の考え方で,様々な組織や計画策定をすすめる新潟方式が報告されました.石川県はこれでいいのかとまた声が出ます.

 さて,国は新しい防災指針を春には示し,県の防災計画を9月までに策定するよう求めています.そのような短期間で実効性のある計画を完成させることは出来るのか,極めて疑問です.我々議員も厳しい検証をしていかねばなりません.

 1月18日社会民主党石川県連合は,谷本知事に対し「志賀原子力発電所の運転再開に関する申し入れ」を行いました.
1201原発再開に関する申し入れ書

 福島事故の徹底究明と,それに基づく抜本的安全対策と防災体制の強化を国に求めること,UPZを県内全域に拡大すること,県原子力環境安全管理協議会(安環協)の体制見直し,これらの条件を満たさない中での運転再開のどういをしないこと,を申し入れました.
 県は,危機管理監が対応し,申し入れに対する現段階での県の見解表明を行い,質疑応答,意見交換を行いました.

 県は,できる限りの仕事は進めるが,国に先んじて対策を決定していくことは困難が大きく,要望については,全国の原発立地県でつくる協議会を通じて届けており,今後もそのようにしていきたいと述べました.
 防災体制の拡充については,実効性のあるしっかりした計画をつくっていかねばならず,そのためには国がますその中身をしっかり示すべきだと答えました.それは当然のことですが,石川県特有の地理的条件を勘案し,避難計画や避難受け入れなどを主体的に考え,国にもそれを積極的に伝え,要望すべきです.
 しかし,この点については,まず国がという,従来の姿勢を崩すことはなく不満の残るものとなりました.また,安環協の委員に現在より拡大した市町代表を加えることや,学識経験者として,原発に厳しい意見を持つ学者などを入れることも提案しましたが,これも,前向きな回答を得ることはできませんでした.

 現状が再稼働の条件を満たす段階でないことは明らかですが,ストレステストの結果によって「安全」であると評価され,これが妥当であるとの見解が各段階で進んでいけば,再稼働の動きが具体化していきます.しかし,福島の事故原因が,揺れによる配管破断である可能性があることも否定し続け,防災計画も完成して検証もなされないままの運転は無謀といわねばなりません.
 この点について,強調して,今後の石川県の判断に誤りないよう訴え,申し入れを終了しました.まだまだ,とりくみは続きます.

1月14日,新春恒例の社会民主党石川県連合新春交歓会を開催しました.社民党県連の代表としては初めての交歓会です.2012年新しい社会のあり方を求めスタートしなければならない年であり,2011年は忘れてはならない年であることを,挨拶の中で訴えました.
 新春の和やかな交流が進む一方で,福島の強烈な印象と怒りの記憶を失うことなく,署名や街宣,学習会,議会での発信などを強化していくことを参加者全体で確認しました .

来賓の谷本知事は,福島原発事故は収束していないし,自己原因も明らかになっていない,国も人によって言うことが違い,統一した見解が示されていない,しっかりと方針を示すべきだと述べました.
まさにそのとおりの状況です.しかし,防災もエネルギー政策も石川県としてもしっかりやるべきことはあるわけで,安全規制や石川県半島地域の地理的特性,自然環境や産業構造などを考慮しながら独自の方針提起と実行,国への強力な働きかけを求めていきたいと思います.

福島原発事故から10カ月が経とうとする1月10日,環境放射線のモニタリング体制について調査するため,県保健環境センターの視察を行いました.議員と市民総勢11名の参加となり,熱心な質疑応答が行われました.

志賀原子力発電所周辺での環境放射線モニタリングは,空間放射線と飲食物等に含まれる放射性物質の測定がおこなわれています.
志賀町と周辺の9か所と能美市に1か所,環境放射線観測局があり,県内34か所の積算線量計,そして,モニタリング・カーによって空間線量の測定が24時間体制で行われ,保健環境センター施設内では,年間計画に基づき,原発周辺から採取した農畜産物,海産物,その他,土壌,大気浮遊じん,降下物,水道水,海水,海底土のサンプル中の放射性物質の量が測定さています.その他,サーベイメータなど,持ち運び可能な簡易測定機器による測定も適宜行われています.

3.11は,福島原発周辺の機器がことごとくダウンし放射線量が測定できなくなり,各地から可搬型モニタリングポストが現地に貸し出され,線量測定が行われました.福島への運搬は3月12日から行われましたが,運搬途中,設置の時期に水素爆発が起こり,被ばくの危険と隣り合わせの中設置されたと説明がありました.現在は,福島の機器は更新され,石川県の機器は除染,返還され,輪島七尾小松金沢の各所でモニタリングで稼働しています.

 環境放射線監視はコンピュータ・ネットワーク・システムの中で管理されていて,原子力センター,志賀町監視センター,保健環境センター,で監視とチェック,県庁や志賀町,七尾市,羽咋市,中能登町の役場,役所庁舎の表示板やホームページ,携帯サイトで,その数値が,常時公開されています.
 非常事態における情報公開や,その状況に応じた迅速で的確な指示は,国や県に求められていますが,オフサイトセンターの位置の問題等もあり,今後抜本的に見直しは必要となります.

飲食物の放射性物質測定は,志賀原発周辺のサンプルで調査されています.福島原発由来の放射性物質の汚染状況の調査は,牛肉や米,輸出用の食品の保障のための測定は行われていますが,東北関東などの食品の測定は行われていません.あくまでも,出荷側の調査,測定によって汚染の有無が確認される体制となっています.しかし,東日本13都県では,学校給食の食品中の放射線量の測定が行われることになっています.

市民の間には,不安のある食品等の測定を求める声もあり,現にそのようなニーズに答える二本松の市民測定所で,粉ミルクの汚染が発見されたのです.今後,汚染の拡大と,汚染食品の変化も起こると考えられ,この施設が有効に運用されるよう検討していく必要があります.

センター紹介リーフレット
http://www.pref.ishikawa.lg.jp/hokan/documents/panf.pdf

石川県保健環境センターニュース
http://www.pref.ishikawa.lg.jp/hokan/news/news-j.html

石川県の大気環境の状況
http://www.pref.ishikawa.jp/cgi-bin/taiki/top.pl

文部科学省 放射線モニタリング情報
http://radioactivity.mext.go.jp/ja/

 7月の中央公園での3,000人集会,9月東京での6万人集会,10月志賀町での署名・街宣活動に続き,12月10日実行委員会は七尾での集会とデモを主催しました.

 富山からの参加者を含む約500人の参加者は,福島の國分さんの講演を聞き,福島の現状をあらためて深く心に刻み,原発は人類と共存できないとの思いを確認・共有しました.

 志賀原発の再稼働の動きはまだ表面化していませんが,いくつかの条件をなし崩し的にクリアしていって,再稼働に一気に突き進むかもしれません.
 しかし,地元,県民の反対の声が大きければそれを強行することはできないはずです.
 粘り強くとりくんでいきます.市民とともに!

 10月7日朝,小松基地所属のF15ジェット戦闘機が,燃料タンクを爆発落下させる事故を起こしました.幸い人的被害はありませんでしたが,大きな部品が落下した数十メートル近くには民家もあり,北陸自動車道も目と鼻の先にあり,落下場所が少しずれていれば大きな事故となった可能性がありました.
 F15はこれまでも墜落事故や幾つかのトラブルを引き起こしており,今後飛行訓練を続けることは極めて危険です.このような認識に立って,社民党は,12日,平和運動センターや小松基地爆音訴訟原告団の各団体と共に陸上自衛隊小松基地と小松市に申し入れを行いました.

 事故の全貌公開と自己原因の徹底究明と情報公開,航空祭と基地50周年記念事業の中止,当分の訓練中止を申し入れました.小松基地では管理部長が対応し,謝罪と今後の事故徹底究明と安全対策を約束しました.しかし,住民の理解を前提としながらも国防という任務には,リスクも含め国民の協力がいるという考え方を述べました.国策の前に,明確に住民の安全第一という姿勢が示されないのは,原発政策と全く同じ構造です.

申入書(石川県平和運動センター)
Asahi.com 「原因特定長期化,再発防止目処立たず」(10.21)

 10月8日社民党スクール2011 広瀬隆講演と現地報告を開催しました.
400人の参加をいただきました.今後の脱原発運動に大きな力になるものと確信します.

福島からの現地報告,森田省一さんのお話は,現場にいた,居るものでしか伝えることのできないものでした.地震発生,避難の状況,原発事故が起こってからの現地の様子,原発にまつわる利権の構造など実にリアルな報告でした.

小さい頃にウグイやカジカを採った川や,息子さんといった数々の海釣りのポイントももう行くことはできない,一時帰宅で家に帰ったが,草が太く育ち2mにもなっていて正直心が折れそうになった.避難の計画は全く非現実的である,自家用車で渋滞する道路を,バスで避難民をピストン輸送するなど到底無理である.町長の家が津波で流されたが,この流された家から金庫を親族会社の建設業者が重機で回収したが,この中には5億円が入っていた.今,原発の中で働く労働者は,東京電力の社員,下請,孫請けだけでなく,大手ゼネコンが手配した日雇いの労働者になってきている,高額の日当で雇われているが,命にかかわる被爆労働の実態がある.などの報告でした.

参加者は,報道では知らされることのない現実を知り,これを直視し,忘れることなく,原発脱却の運動と世論拡大に向けようと,共通の思いを強く持ったことと確信します.

講演の模様の録画です.http://www.ustream.tv/recorded/17746518

北國新聞日曜インタビューの取材を受けました.社民党兼連合代表としての記事です.
1時間程度の岩田記者とのやりとりです.好意的に書いてくれたのではとは,わがパートナー談.
日頃の活動と,想いが伝わってくれればと思います. 

6月末の宮城県の被災地視察に続き,7月2日,福島県を訪れました.社民党全国連合大震災・原発事故調査団の一員としての参加です.

 
▲ 飯館村 飯館振興公社牧場 牧場は閉鎖されていた.牧場前の草地の放射線量は6.40μ㏜/hを示している.(ちなみに,金沢市ではこの測定器は,0.1~0.15μ㏜/hを示していたから,その数十倍の値ということになる)

 
▲ 相馬市に向かう道に立つ電柱には「子どもたちの未来のために『東北電力』」の文字が,そして,バスの窓からは,田植えのできなかった田んぼが続いていた.

計画的避難区域となった飯館村は,6月21日現在村民の97%(5,971人)がすでに避難しています.残る3%は牛の移動が困難な酪農家が主ということでした.
事故以来,県内では放射能に関する研修会が開催されていますが,この講師には,「ミスター大丈夫」と揶揄される,長崎大の山下教授なども含まれています.あくまでも,責任と事故を小さく見せようとの意図があからさまに見えてきます.


▲ 南相馬市の警戒区域(20km圏内)と緊急時避難準備区域の境界地域

 
▲ 南相馬市の鹿島区の被災地,海浜公園近くのレストラン  この一帯も数百戸の住宅が破壊された

簡易放射線測定器を購入し,この数値を見ながらの視察でした.6月末の宮城県視察の折,新幹線が郡山,福島あたりを通過するとき列車内で線量が0.5μ㏜/hを超えていました.
そして,今回の福島,福島市では1.0μ㏜/h前後,飯館村では3.0μ㏜/h,そして地面草地では約6.5μ㏜/h,しかし,相馬市では0.2μ㏜/h程度でした.

放射性物質が大気中に放出され,特に揮発性のヨウ素(I131),セシウム(Cs137)の拡散と落下,定着は気象条件により大きく左右されます.風向き,降雨・降雪のタイミングによってこのような汚染状態となったのです.そして福島第一原発から50kmを超える地域でも高い放射線量が観測されます.防災や避難区域を同心円で規定することは無意味です.そして,原発に地元などないということをあらためて認識しなければなりません.
福島の放射性物質は,今後日本のどの地域に降り注ぐかわかりません.そして,日本には54基の原発が存在しています.このうち,100%安全な原発はありません.

福島線量マップjpg.jpg福島線量マップ 福島線量マップpdf.pdf

6月29日30日、東北宮城の震災復興状況を白山市議の古河尚訓さんと視察しました。

今回の視察までの経緯は、最近石巻市職員になった後輩のメールがきっかけでした。東日本大震災の状況は、この目でしっかりと見なければならないと思っていてたところ、大学後輩からのメール、「毎日苦しいけれどがんばっています、でも、行政の一員となった今聴いてほしいこともあります。」という内容でした。聞かなければならない思い、行くことにしました。

29日 仙台市名取市内被災地視察 +++++++++++

今日は社民党宮城県連合の田山さんを尋ね、宮城の状況を聞きました。社民党としての現段階での分析の文書をいただきましたが、市町村合併で、自治体の意思決定に問題がああり、さまざまな対策が有効に早く住民に届くことになっていないとの指摘はその一部です。


▲ 仙台市荒浜地区の農地,まだまだ多くの車や瓦礫が放置されている


▲ 仙台市荒浜小学校の体育館,校舎は2階まで浸水した跡,周りに残るのは家の土台のみ


▲ 名取市の塩害で杉の木は赤く変色している

今日見た光景は、100日以上たって今尚このような地域が多くある、政治と行政がやるべきことがまだまだあるはずだとの思いを強くしました.

30日 石巻市役所,市内被災地視察 +++++++++++

石巻市役所は,多くの市民で大忙しの状態でした.2005年に1市6町が合併したため,旧自治体の規模であれば,その地域に応じてスピーディーに処理できた被災者支援も,対応が遅れているようでした.合併による役所職員の削減,また,今回の津波により亡くなった職員もいて,いかに県外複数自治体からの応援職員を加えても仕事は追いつかないという状況ではないかとおもいます.
そのような中,日中は被災者の対応,夜は,通常のやるべき業務をこなすというギリギリの働きをしている職員は多いといいます.知人の行政ウーマン1年生の内田さんも,少し疲れているようにも見えましたが,わたしは大丈夫ですと,話を伺った後元気に仕事場へと帰っていきました.先輩の皆様も含め県へのご留意を願うばかりです.


▲ 石巻市石巻湾内陸の住宅地


▲ 石巻市雄勝町の公民館の上に残された観光バス,高さは12mという


▲ 石巻市の大川小学校 108人の児童のうち74人が亡くなった.多くのの人が訪れ,手を合わせていた.

結果論から言えば裏山に逃げていれば,と誰しも思うでしょうが,余震でがけが崩れたらと考えると判断は厳しかっただろうとも思います.学校のある地域がどのような災害のリスクがあり,その対策と避難計画と訓練を十分にやっておくしかないということです.もちろん,その防災計画は教師だけでなく,地域の古老や防災のプロの知恵も得て作成されるべきでしょう.

11社民大会記事1.jpg

6月26日,労済会館で社民党石川県連合第14回定期大会が開催されました.

 

党の活性化,党員拡大,そして原発からの脱却,志賀原発の運転再開を許さず,廃炉に向けたとりくみに全力を挙げることを参加代議員全員で確認しました.

 社民14大会決議.jpg

また,今回は役員改選の大会となり,私は宮下登詩子さんの勇退に伴い,私盛本芳久が社民党県連合新代表に選出をされまし11社民大会記事2.jpgた.
厳しい社民党の現状からみて,決して明るい未来が見えないのですが,いまこそ社民党が通してきた筋をしっかりと県民のみなさまにアピールし,党勢の拡大と,脱原発の実現に向けた重い責任を果たさなければなりません.やるしかありません.
地域活動,街頭宣伝活動,広報など,一歩一歩前進する努力を続けることを約束いたします.多くの皆様のご理解とご支援をお願いします.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 社会新報石川版 http://www6.ocn.ne.jp/~syamin/gaisen/index.html