■ 洋上風力発電所 |
ドイツ側の海岸線にある展望台から洋上風力発電所の大風車群を見た。近くまで行くことはできなかったが、近くからならさぞ壮観だろう。3MW級の風車162機が建ち4万世帯分の電力を賄うことができる。小型の原発1基分ぐらいだろう。92年に実証実験が成功し、2003年に建設された。浅瀬の海でコンクリートの皿の上に設置されている。漁業権の問題はない。魚は増えているようだ。日本の風は方向や強さも変化が激しいのでそれにあった風車のタイプにする必要がある。日本は水の移動のエネルギー効率の高い潮流による発電が向いているとレオ氏は言っているという。潮汐を利用した発電については五島列島で実証実験が進められているようで、期待したい。
■ 大型風力発電施設 |
畑に建つ大風車を現地で見学しながら説明を聞いた。3MW級が3基建っている。所有者はコペンハーゲン市の上下水道を管理している会社でコペンハーゲンに電力を供給、農家が30年契約で土地を貸している。建てた業者は必ず20%の風車株を地元住民に割り当てる法的義務を負っているので、地元住民の収入となる。メンテナンスは地元の人がやっていて、これも収入源である。メンテナンスの技術者を養成する機関もある。稼働率は90%、3基で一般家庭4,000世帯分の電力となる。
こことは違い、畑にある多くの風車は、土地所有者の農家が自分で建てて電力会社に電気を売って収入を得ている。前述したように農業収入と売電収入が得られるということになる。
日本では農地の転用ができないことがネックになっている。できるようになれば、その土地にあった規模とタイプの風車を設置すればいいだろう。
いずれにしても日本のエネルギー政策はまだ原子力に依存しようとしていて、本気で再生可能エネルギーを推進する状況になっていない。原発からの決別を政策決定して、省エネの推進と再エネの普及拡大によって化石燃料の依存を0に近づけていくことは世界の趨勢になっていくことは間違いない。技術開発も日本の得意分野として伸ばしていくべきだ。デンマークの姿を見てあらためて確信した。
■ リサイクルセンター |
廃棄物が40種類に分別収集されている。最終的に埋め立てられる物はわずかに4.5%である。次から次と市民がゴミを運び込んで分別していた。建設関連の産業廃棄物のような物も持ち込まれているように見えたが、これらの廃棄物のリサイクル事情については確認することができなかった。日本においても地域で資源ゴミの分別収集やリサイクルセンター等の施設への持ち込みなどが進んでいるが、リサイクル率はまだまだ低い。また、焼却処分についても発電や熱利用もする施設が増えているが、デンマークでは電気と熱によってエネルギー効率を上げるコジェネが進んでいるように見受けられた。以前ドイツのエネルギーについて調査も行ったが、地域へのお湯の循環による熱供給が各所の施設で行われていた。寒冷な地域なので必要性も高いと考えられるが、北陸の季節も考えれば、石川県でも更に力を入れるべき分野ではないだろうか。
*スウェーデン
ストックホルム
■ 在スウェーデン日本国大使館 |
対応:鈴木一等書記官、和田一等書記官
日本大使館ではスウェーデンの政治・経済情勢等について説明を受けた。
スウェーデンの人口は約1,000万人で増加している。国の礎をなす国民としてポジティブに難民や移民の受け入れを行なっている。一人当たりのGDPは日本よりも高く、生産性も高く成長率も2.1%を確保している。小さな国であり自国だけではやっていけないことを自覚し、輸出に力を入れながら他国との良好な関係を維持している。国会は80年代から一院制、在留邦人は4,000人強で製造業を中心として128社の日本企業が進出している。
人口、面積、GDPなどから見て北欧の盟主という地位にある。95年にEUに加盟しているが通貨はスウェーデンクローネ。ノーベル賞の創設など国際的発信の上手な国である。中立的立場で各国の軍事費集計を行なっているストックホルム国際平和研究所もある。男女平等が進んでいるが、70年代から様々なとりくみの継続の結果である。過去200年間、軍事非同盟を維持し戦争を起こしていない。
技術・産業面に秀で、輸出に努力してきた。世界的に有名なボルボ、イケア、H&M、テトラパック、エレクトロラックス、エリクソンなどのグローバル企業がある。
2018年の総選挙では中道左派の社民党が第一党。1930年代にスウェーデンモデルとなった高福祉・高負担の基礎を作った政党である。反移民・難民のポピュリズム的政党であるスウェーデン民主党が議席を伸ばした。経済成長は緩やかに続いていて、国内需要の伸びやユーロ圏経済の回復傾向の中で雇用も伸びている。キャッシュレスは進んでいる。
エネルギーは、原子力4割、水力4割、その他2割となっているが、2016年に原子力の代替として再生可能エネルギーを充てていく協定が結ばれ、将来の原発廃止に向け段階的にこれを実行している。
日本との関係では外交関係樹立から150年であり、皇室、王室、政治レベルでの交流が行われている。
選挙の投票率は高い。公民権教育は日本と同様、社会との関わりや税金の使われ方などを学校で勉強しているが、政治や公ということを身近に感じているからではないだろうか。選挙中は誰もが町中で直接候補者の説明を聞くことができるなど透明性が高い。そして、税金の負担が大きいのでその使い方に関心が高い。
男女共同参画は相当進んでいる。政府方針を明確に立ててこれを実行している。どの政策文書を見ても女性の登用は必ず書かれていて、女性管理職も意識的に増やしている。そのための産休・育休、保育、男性の育児参画など環境整備にも努めている。
合理的に物事を決める国であり、民主的に政策の間違いが認められれば速やかにこれを転換していく。産業政策なども大胆に変化させていく、利害の変化が起こってもこれに企業が素早く対応する。労働者も転職しようと思えば新しいスキルを身につけることができるインフラが整備されている。
地方分権が進んでいて、日本の市町単位で公共のサービス内容を自律的に決定し実行できる制度と財源が保障されている。したがって住民はこれを自分たちで決めると言う意識が高い。福祉サービスは与えられるという感覚ではなく、自分たちが参加して自分たちの町のサービスを創り上げるという意識だと思う。高齢者福祉については公務員が主に担っていて、そうあるべきだという考え方が強い。そして、このような公務部門が安定した雇用を生み出していると考えているようである。
障害者福祉については、できないことを助けるというよりは、できること好きなことを活かして活動や雇用とマッチングする考え方だ。このマッチングをその人の成長に合わせて継続し、専門的にきめ細かく支援している。
このような説明を受け感じたことは、徹底して民主主義の手続きが実践されているということである。政治は議員にお任せしたりお願いしたりするのではなく、自分たちの議論と提案と選択を実践しているということだと思う。それは、子どものころからの教育があるからである。スウェーデンの小中学校の教科書を見ると、昔はこうだったが今はこのように変わってきた、おかしいと思うことはいろいろな運動で変えることができる、そのためにはデモでみんなに訴える方法もあるなどと書いてある。税負担は大きいが、政治への信頼と自分たちが決めたという実感があるから納得できるわけである。
日本の公民教育、選挙、政策決定方法、地方の権利などを見たとき、この国との大きな違いを感じてしまう。主権者が国民にあるということを、国民自身が自覚し、政治権力はこれを尊重し発展させていく国にしていかなければ間違いなく世界に取り残されていく。我々地方議員もその責任を自覚し、民主的な社会実現に向けて努力しなければならないと実感した。
■ ガイド イメール氏からのレクチャー |
イメール氏は日本人の妻を持つ。自身は視覚障害があり、長野とソルトレイクパラリンピックのノルディック銀メダリストである。高齢者・障害者福祉に精通していて、日本からの視察者等を受け入れ案内とガイドをしている。大変優れたガイドで通訳者だった。以下のような事前のレクチャーを受けた。
スウェーデンには21の県、290の市町村があり、県は医療を担当、市町村は高齢者・障害者福祉を所管している。県と市町村の地方税が30%、高齢者・障害者のケアセンターは市が運営している、在宅者のためにはホームヘルプサービス、デイサービスを提供している。介護保険はなくサービスは税金で提供し、自己負担もあるが、所得で応能負担になっている。医療費の自己負担は月額2万円限度、介護サービスも2万円は超えない。消費税は25%、所得税は30?50%、必要な人に必要なサービスを税で提供している。施設の民間委託は2,3割ある。徐々に増えてきている。利用者の数に応じて委託料が支払われる。
187年以降の建物はすべてバリアフリー、バイオマスによるコジェネ(熱と電気の併給)が普及している。ストックホルム県は公共交通(電車、地下鉄、バス)を県が所管、自己負担と税半々で経営、1か月乗り放題乗車券は1万円ほど。
スウェーデンでは基本的に子どもは親の介護はしない、訪問介護を受けながら夫婦間で介護する。一人暮らしで孤立しそうな高齢者にアクティビティーセンタを紹介する。サービスを受けるかどうかの判定は市のソーシャルワーカーと判定員が決める。
介護職員の不足は今のところはないが、将来的には足りないと考えられている。
■ リーディングオーデイケアセンター(高齢者デイ・ケアセンター) |
対応:アンナ・ピア・ロース施設長
この施設はリーディング市が市の予算によって運営している高齢者のためのデイ・ケアセンターである。施設スタッフは利用者の家を訪問し、その様子や希望を事前に聞き取り、そのニーズに応じた生活の支援やアクティビティーを実施している。高齢者の孤独・孤立を防止し、生き生きとした生活が送れるようサポートしている。高齢者福祉と障害者福祉の予算が市予算の34%、小中学校とフリースクール、高校で約40%の市予算を使っている。
運営の方針は市議会に組織される高齢者福祉・障害者福祉委員会が決定しこれに沿って施設職員(市職員)が運営し働いている。施設長は、自分たちの市がスウェーデンで一番の小学校や中学校をつくり、そして高齢者になって死ぬまでこの町で安全・安心に生活ができるようこの施設もあるのだと誇りを持って語っていた。ここに来る高齢者は一人ひとり目的と目標が異なっているから、自己決定権を大切にしながら個別的な対応を行っているのは当然と考えている。
利用者は100人、月曜日から金曜日まで開かれていて、利用する日数は一人ひとり違っている。4つのユニットがあって、それぞれ13人の利用者を3人から4人の介護職員がサポートしている。介護職員は准看護師でもあり日本の介護職と少し違う。送り迎えは契約した送迎サービスの会社が行っていて運転手は基本的には変わらないという。
16年前にデンマークを訪れ、高齢者施設も見学したが、ほぼ当時と同じような形態で介護サービスが展開されているように感じた。当時の日本はまだそのようなきめ細かいサービスは進んではいなかったが、北欧のような先進国の高齢者福祉に倣い今の姿があると思う。今回感じたのは、利用者への事前のアセスメントが大変丁寧であるということだ。家族構成や現役時代の仕事や趣味を調べ面接も行い、判定員がアセスメントを行うということであった。もちろん日本においてもそのような丁寧な運営を行っている施設も多いと思うが、残念ながら、職員の虐待など問題になることもかなりある。専門性を持った公務員が安定的な雇用環境の中で誇りと責任を持って働けてこそ高齢者の安心と幸せが確保されるということだと思う。
私たちと高齢者との交流の場もつくっていただき和やかに話したり、一緒にお茶を飲んだり、折り紙をつくって見せたりと楽しいひとときを過ごすこともできた。認知症にあっても個人として尊重され大切にされていることがよくわかった。
■ オプティマス、ハンデルセリーケット(障害者デイ・ケア・アクティビティーセンタ) |
対応:ターリア施設長、アレクサンダー教師、アルベス チームリーダー(オプティマス)
アウリー施設長(ハンデルセリーケット)
この地域には9か所のデイセンターがあり、障害者の状況や好み、得意分野によって活動内容が異なっている。今回はそのうちの2か所、比較的軽度の人と重度の人が利用する施設を訪問した。
1.オプティマス
就労が困難な知的障害者が幸せな1日が送れることを目的としている施設である。ここは比較的軽度の知的障害者のアクティビティーセンタである。利用者は一人暮らしの人も多く、ここに自分で通ってきている。手工芸のセンターと木工芸のセンターがあり、製品の製作を職員のサポートを受けながら行っている。私たちは作業の様子を見学し、ここで製作されたワインを入れるすてきな布製の袋と木製のバターナイフをいただいた。実用的で良いデザインのしっかりした製品が仕上がっていて販売もされている。利用者の表情は総じて明るい感じだ。
日本の障害者の作業所も様々な形があり、このセンターによく似た所もあるように思うが、違いがあるとすれば、この施設は専門的な技術を持ったスタッフが指導、手助けをして良質な製品を仕上げている印象を受けた。いずれにしても利用者が楽しく作業や創作ができて、幸せな時間を過ごせているのかが重要な点だろうと思う。
2.ハンデルセリーケット
こちらは重度の障害者のための施設である。ここには、利用者の様々な感覚を刺激する体験ができる部屋や装置が準備されている。専門職員が、利用者の健康な部分を見つけそこを集中して刺激、活性化させるケアをしている。もちろん一人ひとりの希望を聞いて個別的に対応している。
職員も利用者も、タイプの違う9つのセンターを希望によって選択、移動ができるようにしている。自らの希望によって選択し、実習し、体験し、相談して合う場所を決定している。ここでも、職員利用者いずれも個人の意志が尊重されることが大事にされていた。
このような意識はもう国民の中に当然のこととして根付いていることに感心させられた。
地域住民との交流が行われているのかを問うてみたが、当然のごとく町に出かけ、プールに入り、レストランで食事をするなど自然に社会参加をしているということだった。そして社会参加は施設の重要な目的の一つであるとも言われた。特別に設定された交流行事や場を想像しながら聞いた私の意識の低さを反省した。
■ 障害者が運営するレストラン |
障害者が運営するレストランで昼食をとった。基本はセルフサービスのレストランで、障害者は調理やレジ打ちの仕事を健常者の店員と協力しながら行っていた。知的障害のある人がレジ打ちをしていたが、レジは文字や数字ではなく、タッチパネルのメニューの絵と実際の料理をみてボタンをタッチすると金額が表示されるようなレジ機で精算の仕事をちゃんとやっていた。ストックホルムにはこのようなレストランが2か所あるということだった。
仕事は障害者の希望によって与えられている。アクティビティーセンタでの活動を希望する人はそこで活動することになる。いずれにしても彼らは障害者年金によって生活は保障されているから、あくまでも自分が好きな方を選択することになる。もちろん障害が重度の場合は、仕事はできない場合もあるということだった。
■ MISA(障害者雇用支援事業所) |
対応:アンドレアス・ニネホン氏(ジョブコーチ経験を持つオフィス担当者)
MISAは1994年に設立された民間株式会社でジョブコーチの派遣を行っている。様々な形態の障害(知的、自閉症、アスペルガー、発達、精神)のある人々が、その人に合った仕事を見つけ、合った働き方ができるように支援し、誰もが雇用の場に参加できることを目的としている。
市町村からの委託料や、障害者専用のハローワークからの紹介がある場合の国からの委託料を収入として事業の展開を行っている。
スウェーデンでは90年代に大型施設が閉鎖されて障害者への支援策の転換が行われた。「患者から国民へ」という考え方の転換である。それまでは障害者自身より医者や臨床心理士ほうが、障害者が何をすれば良いかわかっていると考えられていたが、そうではなく障害者の希望を聞いて活動を決めようという転換である。この会社のオーナーが障害者自身から聞いたことがまさにこの考え方と同じだった。そしてこの活動をしようと決めたのだそうである。会社名MISAのMは方法の発展(Method)、Iは個別支援(Individual)、Sは社会参加(Social participation)、Aは仕事へ(Arbite)を表していて、その理念が込められている。そして、このような方法でなければ支援は成功しないと強調された。
ここはアクティビティーセンタではなく、働きたいという希望者への就労支援しかやらない。訓練から仕事へ、ではなく、職場で訓練しサポートを継続する。段階的に支援を発展させながら継続し、障害者の意味ある1日を実現するのである。支援のための基礎となる調査や面接を行う、社会性についての情報も得る。仕事先の人々の意識を高める、つまり同僚の教育もジョブコーチの仕事になる。仕事内容や日数など段階的に訓練を行い最終的には正社員をめざすこともある。
100人の障害者と契約を持っていて14人のジョブコーチが働いている。ジョブコーチの働く時間の1/3が職場探しに必要である。職場は特別の能力を必要としている場合や、障害者の雇用で企業の社会的価値を高めようという場合もあるという。
障害者雇用は企業や役所が義務としてやらなければならないという今の日本の考え方はやはり不十分である。特に発達障害や精神障害、知的障害のある人たちの希望と能力に基づいた個別の支援体制の構築と雇用を一体的に進めなければならない。これにはやはり周りの人たちの人権感覚の啓発とジョブコーチ充実などの公的予算措置が不可欠となる。
おわりに
私にとって、今回の北欧2カ国の調査と研修は社会民主主義の国の実際の姿を見ることができる良い機会となった。税負担は大きいが、個人の尊厳を基本に据えた充実した教育と福祉行政が展開されていることが確認できた。そして、その基本には政治への関心の高さによって当たり前に政治の監視が行われ、民主的な議論と決定が行われ、そこに政治への参加と信頼が生まれ、将来的安心とそれに見合う高負担への納得が得られているようだった。
対応していただいた方々はまず何よりも理念、哲学、理想を語り、それに基づいて実際のとりくみを説明してくださった。どの方々にも通底する、人を大切にする思想に大きな感銘を受けた。
わが日本においては、教育予算も福祉予算も貧しい状態といわざるを得ない。残念ながら、子ども、高齢者、障害者はまだ保護されるべき人々という意識であり、個人の希望や選択権が保障されているとは言いがたい。それどころか格差拡大の中であたかもお荷物のような扱いを受けていると言っては言い過ぎだろうか。また、地方の工夫あるとりくみを実行できるような地方分権と税源の移譲は進んでいない。
高齢者福祉においては介護保険制度が施行され、ヨーロッパの先進地域を参考にした近いかたちの高齢者福祉が進んできたように思う、石川県においても高齢化の進行に対応した施策が求められている。ここで学んだ福祉の基本の考え方をもって今後議会等で提言していきたい。
教育については、明治以来の日本型の教育が続けられてきている。競争的教育から決別した北欧の国に学び、石川県においても一人ひとりの子どもの自己実現のための学校教育のあり方と、人的・物的条件整備を求め続けていきたい。